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まさかの32歳で親の介護がはじまった!介護と仕事と私の話

まさかの32歳で親の介護がはじまった!

介護は突然始まった。
思い返せば、父の体調に確かな前兆があったのだけれども。
まさか介護生活が始まるなどとは、夢にも思っていなかった。

病気によって父は突然、要介護になった

私の家は千葉県のちょっと田舎の方にあります。
東京の職場へ通勤している私と、父と母の3人ぐらし。

父も母も定年を超えていて、パート・アルバイトの仕事をしていました。
なので家での私は、休日は自分の趣味や友人との交流に割く時間がほとんどでした。

一方でこの頃から父は難病持ちでありました。
この時既にパーキンソン病と慢性のガンを持っていましたが、月に一回通院して処方された薬を飲んでいれば、大きな問題はありませんでした。
特にパーキンソン病についてはまだ軽度の方だったようで、父も運転ができるぐらいでした。なので私もそれほど深刻には捉えておらず、いずれ動きづらくなるとは知っていても、それは何年も先のことだろうと思っていました。

私には兄がいますが、既に家を出ています。
この頃の私は、漠然と介護は私がやるべきなのだろうな、としか考えていませんでした。

また、当時は90代で介護施設に入っている祖母がいました。
同居していましたが、ケガが原因で入院したのちに施設入所になったのです。
なので高齢になって動けなくなったら施設に入るというイメージがあり、何より祖母は最低限のことは自分でやれていたので、「介護をする」ことを深く考えたこともなかったのです。

ある日、父が手が上がりづらいと言い出しました。
そうこうしているうちに足も動きづらいと言い出しました。
だんだん悪くなっている気がして、心配になりかかりつけの病院で検査をしてもらいました。
すると脳に複数の脳梗塞の跡があり、小さい脳梗塞を起こしたのだろうと言われました。

ただ、よく聞く脳梗塞とは症状が違う気がする。小さな脳梗塞が起こった時に出る症状にも心当たりがない。
そして日ごとに体の「動きづらい」が「動かない」になり、話している言葉も怪しくなっていく。認知症のような症状も出てきている。
そうして症状が進行していく。父は本当に脳梗塞なのだろうか・・・。

不安に思っていると、後日パーキンソン病の主治医から別の検査をしたいからもう一度病院へ来るように言われました。

検査をして言われた病名は、脳梗塞ではなく、指定難病の初めて聞く病名。
普通は体内で悪さをしないウイルスが、抗がん剤で弱った父の脳で悪さをしたらしい。
発症してしまうと、どんどん進行していってしまう。
この診断を受けた時、父はすでに家の中を歩行器で歩くのがやっとの状態でした。
少し前まで車の運転だってしていたのに。
この診断を受けたのは、父が最後に運転をした日からおよそ1か月半のことでした。

手探りではじまった父親の介護は分からないことだらけ

診断された脳の病気をインターネットで調べると、予後が悪いとありました。
原因にもよりますが、どこを調べても平均して約1年とあったのです。

まさか2か月前までは元気だった父が。
信じたくはありませんでしたが、日々症状が悪化していく父を見ていると確かにな、とも思えていました。

予後1年。

春の終わりに症状が現れてから少し経ってもいたので、早ければ年内だろうか。
あと1年もしないうちに父がこの世を去るかもしれない。

突然突き付けられた情報に、スマホを持ちながらとても動揺したことを覚えています。
兄と、心配で様子を見に来てくれる叔母には伝えましたが、母にだけは言えませんでした。

家の中で、歩行器が無いと一人で歩けなくなった父。
手も足も麻痺が出ていて動かしづらいので、トイレに行くのも、食事するのも全て介助が必要になりました。
認知機能も衰えるため、まずは言葉が出にくくなり、意味不明な単語を言うようになり、次第に私たちの言っていることも理解できていないようになりました。
しまいには話しかけてもほとんど反応を示さないことも。

こうして私と母の介護生活は始まりました。
一番大変だったのは、父は発症してから動けなくなるまでが急だったので、何もかもが「ない」状態であったことです。

  • 誰に何を相談したら良いのかが分からない。
  • 目の前のことに追われる毎日で、そもそも誰かに相談するという発想にならない。
  • 布団からどう起こすのかなどの介護の知識がない。
  • 知識がないから、どんな介護用品があったらいいのかも分からない。
  • 30年以上前に父が建てたわが家は、もちろんバリアフリーになんてなっていない。

比喩ではなく、本当に1日ずつ出来ないことが増えていく父。
体の大きかった父が次第に痩せて衰えていく。
それがどんなにつらく悲しくても、日々の仕事と介護を休むわけにはいかない。
心身共に疲弊していく中でも、どうしたら過ごしやすくなるのかを一つ一つ解決していく。これがなかなかに大変でした。

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介護がはじまったら生活のリズムが全く変わってしまった

介護が始まってから、私と母の生活の中心はすべてが父になりました。

私も母も仕事はシフト制(私はフルタイム、母は午前パート)なので休みが曜日固定でない分、ある程度自由がききます。
土日も関係ないので、父の病院や役所関係の申請などにも平日の休みを利用して行くことができます。

なので、休みはほぼ父の用事で終わります。

定期的な病院への通院や介護保険関係などの申請、ケアマネージャーさんや訪問リハビリの先生に家に来てもらう日。
何も予定がない日でも、日中は家にいて父の介護をし、買い物に出れば介護に必要なものを考える。
夜は何度も起こされ、寝不足で出勤していても仕事中に父が心配になる。
当然ながら以前のように友人との食事や、1人で市外に出かけることもなくなりました。


仕事のシフトは、父が1人で留守番になる日がなるべくないよう、できる限り私と母のどちらかが休みになるようにしていました。
それでも1人で留守番になってしまう日は、どうしても仕事中も不安になります。
私か母が家にいれば、もう一方が仕事に出ていても安心でした。
このように、仕事についてはもちろん、生活の全てが父中心になっていったのです。

介護制度の利用と工夫と慣れとで生活が落ち着いていった

初めは分からないことだらけだった介護も少しづつ大変なことを解決していき、慣れもあってか日々こなせるようになっていきました。

やって良かっか事を振り返ると、
月並みですが、まずは誰かに相談をすることです。

我が家の場合は要介護になった原因が病気なので病名の診断があった頃には
主治医の先生が指定難病の申請やソーシャルワーカーさんの紹介などをしてくれました。

他にも訪問リハビリの先生や、ケアマネージャーさん、介護仕事の経験がある叔母など本当に沢山の人に助けられましたし、今でもとてもお世話になっています。

突然始まった介護はとにかく大変で、父のこと以外に頭がまわらなくなりました。
そんな状態ではどのような制度が利用できるかを一から調べるのにも限界があります。
誰かに話してみたりすると、ふと話したことから思いがけない情報を得られることもあるのです。
例えば市役所で車椅子を借りられることだったり、食事介助の便利アイテムや、申請すると利用できる制度など。
誰かに教えてもらったから改善できたことは数え切れません。

次に考え方を変えたことです。
介護をすることに対して、大変だということを隠さないこと。

初めは私も母も「大丈夫」とみんなに言っていました。
特に60代の母には「旦那の介護は当たり前」という固定観念のようなものがあったようで、
父の話を聞いた人から大変だね、と言われても

「仕方ないことだから…大丈夫だよ」

とよく言っていました。
それから私も母も「大丈夫」ということで、内心は大変だと思っている介護生活の日々を
自分たちで励まして何とか乗り越えていこうとしていたのです。
でも「大丈夫」って、時には自分の首を絞める言葉になるんですね。

私の場合は、「母も頑張っているから何とかして支えなきゃいけない、頑張らなくちゃいけない。大丈夫、まだ頑張れる」と何度も思ったことを覚えています。
けれども実際には寝不足が続く体で仕事に行き、日ごと体が動かず、意思の疎通が取れなくなる父に悲しくなる。
辛いと感じている自分の心身を見ないふりをしている状態でした。

そんな中で初めて難病申請をしに行き、窓口の担当の人から生活状況の聞き取りをしてもらった時のことです。担当の方が、

「それは大変だったでしょう、お二人ともよく頑張っていらっしゃいますね」
と言ってくれました。気づかないうちにずっと気を張って介護をしていたようで、役所で母と二人して泣いてしまったことをよく覚えています。

それからは人に大変だねと言われも正直に
「うん、大変なんだ」
と言うようにしました。
たったそれだけですが、心が随分と楽になるようになりました。

もちろんわざわざ自分から言って歩くことは無いのですが、近しい人やケアマネージャーさんなどにだけでも伝えると心が楽になると思います。

それから介護は意外と力の使い方や道具を使うことで、とても楽になることがあるんですよね。
何かを一つ変えるだけで、劇的に楽になるなんてこともあります。
「大変なんだ」と現状を誰かに話すことで、そういったコツや情報もよく聞けるようになりました。

介護を始めたばかりの人に、当時の私に、伝えたいことは一つ

何度も繰り返しますが、介護というのは大変なことが多いです。
介護をはじめたばかりの人や、当時の自分に言いたいことはただ一つです。


本当に無理はしないでほしい。

しかし、よく言われる言葉ではありますが、これが意外と難しいのです。
私が介護をしているのは、自分の父親です。

「これくらいはやってあげたい」
と思うことが多くあります。
ですが積み重なっていくと、介護する側の負担が徐々に大きくなっていきます。

初めはそれで何とかなっていても、体力的に、精神的に、金銭的に…いずれどこかしらに大きな負荷がかかります。
ある日限界をむかえて、突然介護を続けられなくなっては大変です。

介護される人はもちろんですが、介護をする人にとっても。
あまり良くない言葉かもしれませんが、介護って想像以上にする側の負担、というより犠牲が大きいと私は思います。

だから、無理はしないこと。
そのためにも、特に公的機関の利用は早めにしたほうが良いです。
使えそうな制度があるか調べて確認してみると良いです。もちろん誰かに相談してみるのも。
きっと思っている以上に利用できる制度があったりしますから。

私と母は、今も父の介護を続けています。
大変なことはそれなりにありますし、日々新しい問題にも当たったりします。
ですが私と母が悲しい顔をして介護をしていると、当の父も辛そうな顔をしていることが多いのです。

ただでさえ大変な介護。
私はそれを鬱々とした気持ちでやっていくのは絶対に嫌だと思っています。
どうせやらなくてはならないことならば、少しでも楽しいほうが絶対に良い。

だから私は、これからも問題を一つ一つ解決しながら、
少しでも皆で笑い合えるように、毎日の介護をやっていきたいと思っています。

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